虫と共に去りぬ

虫や金魚を中心に、生きものたちと歩む日々

【Photoshop】白打ちレイヤーをK100%にする方法

Photoshopを開く

>データモードがCMYKになっていることを確認する

>白打ちレイヤーを選択状態にする

>上部メニュー>レイヤー>新規調整レイヤー>チャンネルミキサー

>「新規レイヤー」というウィンドウが出るのでそのままOK

>以下のようなプロパティが表示される

f:id:gone_with_the_bugs:20201111115934p:plain

>シアンのバーが「+100%」になっているので、これを「0%」に変更

>出力先チャンネルから、マゼンタ、イエローも同様に「0%」にしていく

>ブラックは「+100%」のままでOK、更にこのブラックチャンネルのシアン、マゼンタ、イエローだけはそれぞれ「+50%」に設定する。

※ブラックのバーの下、合計が「+250%」になるけどOK。

(白打ちレイヤー以下の画像レイヤーを表示させていた場合は、それがモノクロで表示されているはず)

>左上の×でこのウィンドウを閉じる

>チャンネルミキサーのレイヤーはその直下にあるレイヤーに適用になるので、チャンネルミキサーレイヤーの下が白打ちレイヤーになっていることを確認する。

(それ以外のレイヤーは非表示にした方が邪魔じゃなくて良いかも)

>白打ち部分がK100%になっているかの確認方法↓

◯情報ツールのタブを開くと、カーソルの位置のCMYK%が表示されるので、そこで確認しても良いし、スポイトツールで白打ち部分を選択して左のカラーピッカー(描画色)をダブルクリックしてCMYK値を見ても良い。

>最終的には、チャンネルミキサーレイヤーと白打ちレイヤーを結合させて保存。

 

====以下、私的メモ====

◎さらにIllustratorの編集データにコピーするとき

 

Illustrator起動

>入稿用に編集するaiデータを開く

>上部メニュー>ファイル>開く

>コピーしたい白打ちレイヤーを含むpsdファイルを選択

>「Photoshopの読み込みオプション」が出てくるので

・レイヤーをオブジェクトに変換

・非表示のレイヤーを読み込み(これは場合によりけり)

の両方を選択しOK。

>表示された、「表」「白打ち」「裏」の3つのオブジェクトを選択(選択されていると右側が「◎」になる)したら、まとめてコピーする。(command⌘+C)

>あらかじめ開いていた入稿用にaiデータに戻り、貼り付け。(command⌘+V)

>貼り付けるとつの3オブジェクトが選択された状態なので、そのまま大きさ(command⌘を押しながら)や角度、位置を変更すると3版がズレずに済む。

 

以上で、入稿用のデータ上でも白打ち版がK100%になっている。

K100%でも濃淡表現はできるのでグラデーションも大丈夫。

【Photoshop】レイヤーの任意の一部分だけを色調整する方法

Photoshopで、レイヤーの任意の一部分だけを色調整する方法

例) 翅の一部分だけ黒を濃くしたいとき

 

Photoshop開く

>任意のレイヤーを選択状態にする

>レイヤー表示部分下の以下のマークを選択

f:id:gone_with_the_bugs:20201111110446p:plain

トーンカーブを選択&調整し、任意部分の黒が好みの濃度にする。(この時任意の部分以外の濃さも変わるけど無視する)

>任意のレイヤーの上に以下の色調整レイヤーが重なっていることを確認する

f:id:gone_with_the_bugs:20201111110949p:plain

>鎖マークの右側の白い四角をクリックして選択状態にする

>上部メニュー>イメージ>色調補正>階調の反転 を選択

>白い四角が黒になる

>左のツール一覧からペンを選択して、描画色=白にする

>階調の反転後に任意のレイヤーは通常の色に戻っているはずなので、先ほどの黒の濃度を変えたい部分をペンでなぞる

>白で塗った部分が、最初にトーンカーブで設定した時の色濃度になる。

>最終的にレイヤーの補正を完了する時はトーンカーブレイヤーと任意のレイヤーを結合させる。

※もし塗る範囲をはみ出でしまった場合はその部分を消しゴムで消せばOK

※もっと濃くしたい場合は、上の画像の鎖マーク左側の四角いグラフをダブルクリックして、トーンカーブをさらに設定し直せばよい。

※逆に補正の濃さを控えたいなら、トーンカーブレイヤーの透明度を下げてもOK。

※最初の丸いマークf:id:gone_with_the_bugs:20201111111910p:plainを再度開いて、トーンカーブ以外の色調補正を付け加えることもできる。

 

 

iMovieライブラリのストレージ圧迫

iMovieライブラリのストレージ圧迫

 

これだけだとなんのこっちゃですが、早い話、iMacを苦しめていたiMovieライブラリを削除したらストレージが確保できたということ。なので備忘録。

 

先ほどiMacのストレージを見たら230GBを「書類」が占めていたので、これは大変だと早速データ整理を始めたのだけど、「管理」から詳しく見てみると「iMovieライブラリ」がその元凶だと判明。

 

そこで、iMovieを開いていない状態で以下の作業を実施。

 

右クリック「Finderに表示」から、再度でてきた「iMovieライブラリ」を右クリックして「パッケージの内容を表示」を選択。

 

f:id:gone_with_the_bugs:20201025045124p:plain

iMovieライブラリの中身

 

これがiMovieライブラリの中身。色々でてきた。

この写真はすでに削除後のものなのでここにはないけど、製作し終えて今後も使う予定のなかったプレイリストやらイベント的なものがあったので、それも含めて、写真にあるものはまとめて削除>ごみ箱からも削除。

その後、iMovieを開いて「修復」とかエラーメッセージが出なかったので、そのまま終了。

 

230GBが91KBまで減った!

 

とりあえず解決を見ました。すっきり。

 

ママになる

 

ふと思う事だけど、「◯◯ちゃん、ママになったんだよね」とか「◯◯さんは、もうお母さんだから」っていう言葉に、なんというか、表現し得ない感覚をいっつも抱く。どちらかというとあまり感じていたくない気持ちになる。

別にただ事実を言ってるだけで、そこに誰かを不快にさせる直接的な要素は何もないんだけど、なぜか昔から私はこの言葉が嫌いだった。

 

 

ママになったということは、ママになる前のその人は一体どこにいってしまったんだろうか。

いや、そこにいるし。同じ人間だし。

というのは勿論分かっているんだけど、子を産んだあとのその人の性質が180度変わってしまうような気配が、件の言葉から匂ってくる気がしているからなのかなぁ。「母」っていう二度と消せない役割とも、肩書ともつかないものがその人に貼り付いたあとも、私にとってその人はその人であり続けるのに。

もし私の人生で子を持つようなことがあったら(無いような気がするけど)、誰かに「ママになったね」と言われたとき、どう感じるのかな。自分の子どもを懸命に育てていこうという覚悟とか必死さの後ろで、それまでの自分は消えるのかな。少なくとも、子どもが独り立ちするまではその自分は鳴りを潜めているのだろうな。

 

眠るドラゴン

親友のお祝いのためのフォトアルバムを手作りしながら思ったこと。

 

この半年ほど酷い落ち込みは来ていなくて、むしろやりたいことが増えてきてじっとしてられないエネルギーが背中のあたりをせっついているような感じがする。元気になってきたということだと思う。

 

でもふとした時に気づくのは、この元気さとか普通に過ごしているつもりの私のすぐ横には、やっぱりそこの見えないような深い沼みたいな暗さとか、死みたいなものがいつもスタンバイしてるような感覚があるということ。でも、そういう仄暗いものから、自分か今距離を保てていて、それを客観視できているという自覚はある。というか、その自覚があるから、私が今なんとか平気な顔で普通っぽく過ごせているのだろうなと感覚的に分かる。つまり何が言いたいかというと、この「普通」の感覚はすごく危ういものだということ。

 

何か自分が壊れそうな出来事があったとき、すぐに隣の沼に飛び込める、いざとなれば死に逃げられる、っていう不健康な安心感が足元で私を支えている感じ。安定しているようで蹴っ飛ばしたらポーンとすっ飛んでガラガラ崩れそうな脆さが常に側にある。崩れても這い上がろうとする力は、多分無い。何かあってもきっと諦めがつくから、今を立って歩けてるだけなんだろうなと思う。

 

鬱になる前には感じたことの無いこの状況・感覚から、さらにもう一回脱皮するにはどうしたらいいのかはまだ分からないから、このまま歩いていくしかなさそうだけども…。そんな感じのことを考えました。

 

夢 その3

視界の端に小学校の同級生T君を見つける。

数人のグループで来店していたようた。

私といえば、同級生の女の子友達4人くらいでボックス席におさまってお茶してた。

 

そこから、何か私の琴線というか、精神的にセンシティブな部分を強く刺激するようなことをT君が言った気がする。

怒りが自分の喉の奥の方からぐらぐら煮立っていく感覚。

興奮のせいか知らないけど、周りがシンとしたように感じて、自分の頭の中の声しか聞こえなくなる。

言いたいことが怒りと一緒に駆け巡る。

 

「        」

 

なにを言ったのか、何にそんな大声を上げようと思ったのか思い出せないけど、これまでの私の人間性からして考えられないような激しい感情の発露だった。

ひとたび口を開けば、真っ赤な炎がごうごう溢れ出る感じ。

体が感情で燃やされて熱かった。

T君には、別にいじわるな印象なんて持ってなかったんだけど、どうしてあんな酷いことを言ったのだろう。

私が燃えれば燃えるだけ、彼も食らいついてきた。

彼も全然引かない。私も引けなかった。

 

途中で、ふとK君と目が合う。

これまでは一緒に行動したり、どちらかといえば「私がわ」の人として現れてた人。

でも、今日は違うみたい。繋がった目線はすぐに解けた。

私から外したのか、彼から外したのか分からない。同時だったのかもしれないけど、恐らくこれっきりで、もう以前のような関係で彼が登場することは二度と無いように思えた。

寂しいような、不思議な感じだけど、多分この感覚もしばらくすれば流れて丁度いい位に薄まっていくと思う。

離れたことで、前に進めたら良い。

 

T君は最後に言った。

「おまえ今度    するつもりだろ。うまくいくわけねえからな」

 

私の直近の目標のことだった。

気にしなきゃいいんだけどね、言葉以上に後味が悪い毒を吐かれてしまった。

彼はそのまま彼の友人たちと出て行ってしまったけど、私はなかなか取れない油をぶっかけられたような、ギトついた悪意をどうやって剥がしていこうかとため息をついた。

怒りは激情で、激情を燃やすには、エネルギーが要る。

夢の中でくらい穏やかでいられたらいいのにね。

 

でも、ここ数ヶ月で、私の中に自認できる「怒り」が生まれたこと、そしてこの怒りが、これまで無頓着だった私に沢山傷を与えきたものたちから、きっとこの先の私を衛ってくれるだろうことが、本当のところ、少し嬉しい。

 

夢 その2

今日も夢。

 

会社の同期の人たちが一堂に会している会議室?に、私も集められた。久しぶりの会社からの召集。なぜか私は家族4人揃いだった。

 

これまでの休職中の経過・近況を話して

 

机を円形に並べて座っている同期たちの目線が集まる。よく知らない上司にそう言われたが、この大勢の前で言わなきゃだめなの?

 

なんと言ったか覚えて無いが、立ち上がってたどたど喋りはじめた。今思えば私もよく声がでたな。

 

そうじゃなくて、感謝とかそういうのは無いの?

 

右側から声が掛かって見てみれば、高校の現代国語のT先生。女性の淡々とした感じの先生だったけど、こんな冷たい声を出す人では無かったと思ったのに。

 

ええと、と言葉を出しかけて、目覚めた。

 

まだ続くのかなぁ、こういうの。