クラウドファンディングで法隆寺収蔵庫見学があったので、安くはない(12,000円)と思いつつ支援をしたのが9月頃。

そして今日11:30〜(30分間)の回に参加した。ただ「法隆寺駅」から法隆寺まで徒歩25分くらい掛かることを失念していて、最寄駅出発時に大焦り…色々とご迷惑をお掛けして大反省でスタート。
結果としては法隆寺駅でなんとかタクシーに乗れて、11:20に受付(大宝蔵殿)に到着。元々の予約回に参加させて頂くことができた。

収蔵庫は、大宝蔵殿(大宝蔵院ではない)の北側にある。私が参加した回は全5名だった。資料をもろもろいただいたあと、まずは収蔵庫建屋内の前室に入り荷物を預けて、靴の上からビニールカバーを被せて金堂壁画の収蔵庫まで向かう。この前室には、建屋外部にある外気処理機で除湿した空気がダクト伝いに送り込まれているとのこと。カビ発生防止。



途中、廊下にずらっと置かれた飛天の壁画たち(飛天図)。火災前に取り外されていたため焼損を免れたものが20枚あるらしい。経年による薄く優しい色合いになっているものの中に、何とか残っている朱色や茶色の線が飛天の静かな表情を留めている。よく燃えなかったなと思う。
先に進むと広い空間に出る。ここに、1949年(昭和24年)に燃えた金堂壁画と柱や梁などが保管されている。すぐそばに、炭になるまで燃えたらしい真っ黒な柱が立っている。木肌表面はウロコ状に剥がれて盛り上がっていて、艶々と黒光りしている。その柱の胴張りを辿って上を見ると、組物というのか、梁との接点部分の部材も組まれたままの状態で、同じように鱗立って黒々光っている。壁画を楽しみに来たはずなのに、当時の熱の痕跡の方が先に視界に迫ってきて、しばらく壁画のことも忘れてグループの最後尾でぼんやり空間を眺めて突っ立ってしまった。
引率いただいた僧侶の方からは色々と金堂についての解説を頂いた。
■50-100年ほどの周期で大修理を行ってきているが、1934年(昭和9年)に法隆寺昭和大修理が開始されると、便利堂による写真撮影や壁画模写や行われた。太平洋戦争下で、空襲からの文化財疎開として部分的な金堂解体も行われていた。具体的には、初重尾垂木よりも上部の疎開。その最中での、1949年(昭和24年)の火災だった。
■「山中羅漢図」が長押の上部分に何面か存在していたが、これは火災の焼損とその後の南紀地震で粉々になり修復不可。写真も模写もなく(一枚のみ存在らしい)、幻の壁画となってしまった。
■金堂は、正面向かって右手の入り口から、時計回りに「一号壁」〜「十二号壁」が並ぶ。金堂の左右で線対称になった壁画同士のデザインが共通している。分かりやすいのは一号の釈迦浄土図と六号の阿弥陀浄土図、九号の弥勒浄土図と十号の薬師浄土図など、デザインが対応し合う中に、それぞれの画題に沿った描き込みが付け足されている。
■六号の阿弥陀浄土図は、金堂壁画内でも傑作とされるが、不運なことにまさにその阿弥陀浄土図の阿弥陀の顔面部分の壁を貫いて消化ホースを通したらしく、ただでさえ色彩を失った壁画のほぼ中心で弥陀の顔がぽっかりと空いてしまった。(現在はその部分は壁で埋められている)。
■焼損の度合いに違いがある。出火時の金堂内の火の勢いの違いだろうと推測される。焼損が激しいのは、金堂正面向かって左手の四〜九号壁。十〜三号までは程度の差はあるが特に一二号などは衣の線描や天蓋・蓮華座のデザインまで描線がくっきりと見える範囲が広い。
■十〜三号までが、その他の壁画に比べてやけに黒っぽく煤けているが、これは火災前からの状態。繰り返し、法要で護摩を焚いていたからだそう。
金堂初重の木部と壁画を、私たちは釈迦三尊像が置かれる場所=内陣に立って、内側からぐるっと眺めていたが、途中、僧侶の方の案内で三号と四号壁の間の入り口の外側に立たせてもらった。金堂の木部と建屋の壁との間は狭いが、焼けこげた柱の外側半分、つまり金堂の外側に面していた部分を見ることができた。言われてみれば当たり前だが、そこは全く焼けておらず、今現在の金堂の柱と遜色なく綺麗に見えた。だからこそ、顔を傾けて目に飛び込む反対側の焼け跡が痛々しい。時間を戻せば、あの日この狭い空間がただただ火に巻かれていたんだな。見学中、壁画を見ながらも目の表面にはずっと炎のイメージがちらちら張りついていた。
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失ってしまったもの、もう二度とは戻らないもの。かつて確かに在ったもの。記憶や記録を辿って、今は無くなったものを思い出そうとする、もう一度形作ろうとする。在りし時に思いを馳せる。それを望む人々の手で、見えなくなったものの輪郭をなぞることは、そのものが重ねてきた時間と、かつてその物ために心を砕き、心を救われた人間に送る一つの愛だと感じる。
長い時間を渡ってなお残り続けるものに、不思議と心が惹かれてその引力を無視できないと感じるのは、時間を巻き戻した時に、私と同じ場所に立ちそれを眺め、ため息をついたり、誰かを思って手を合わせた人の姿が浮かぶから。見えないはずの時間が、剥落し傷つき汚れ、あるいは艶やかに摩耗し、完璧ではなくなったその姿に染み付いている。その一つ一つが、なぜか私を安心させる。それが仏でなくても、手を合わせたくなる。目に見える形になった時間を眺めている時、私に流れている時間が一瞬止まったかのように錯覚する。そういう深呼吸のような時間が、忙しすぎる日々の救いになっている。



収蔵庫の改修、収蔵庫一般公開、どちらもいつか実現してほしい。
ただただクラウドファンディングで壁画見たさにエイヤで支援ボタンを押しただけだけど、残したいものを残したいと願うことのエネルギーについて想像を巡らせる時間になった。朽ちていくものを繋ぎ止めようとする営みは、これまでもずっと続いていたことを想像しながら。
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法隆寺、30分の収蔵庫見学を終えたら、伽藍と夢殿を拝観。
その後、天寿国繍帳を見たくて中宮寺へ。展示されている天寿国繍帳は復元なのは知っていたけど、2025年の国宝展で本物を見た@奈良国立博物館ので、改めて来たくなった。
お土産に、繍帳の亀刺繍ハンカチとポスター(500円安い)を購入して帰路に着く。





秋なのに真夏みたいに日差しの強い1日でした。



























































































