虫と共に去りぬ

虫や金魚を中心に、生きものたちと歩む日々

Photoshop 写真のトリミング

Photoshopの備忘録

 

写真を部分的にトリミングしpsd保存したデータ(マスク)をレイヤーに取り込むとき

取り込み後、右クリックから「スマートオブジェクトに変換」をしないと

サイズを合わせて切り取ったpsdデータも、元写真のサイズのまま取り込まれてしまうので注意!そのままだと拡大縮小が非常にしにくい!

しょっちゅうリアルな夢をみるのだけど、今日もまた学生時代の部活の仲間との夢をみた。

 

女子校の部活、みんな穏やかで静かで優しい人たちばかりだけど、私はなぜかちょっと苦手意識があった。そのグループで固まりすぎていて、自分に入る余地がないというか、どうしてもこの中では私は馴染めないという感覚が、私自身にもきっとグループのみんなにもあったんだと思う。

 

ここまでは現実の話。背景設定。

以下、夢。

 

部活のメンバーで飲み会があるというので、LINEで誘われていたが、返事をしなかった。もう何年も定期的にやっているようだけど、参加したのは最初の一回だけだったし。

 

何かの集まりで外出、たまたまその集まりに部活のみんなも参加していたようで(そんな偶然あるかい)、その帰り際に出くわした。何年ぶりだろうねー!的な会話して、このあと飲み会だというのでせっかくだから私も参加すると伝えて一旦帰宅した。

 

(顔見ちゃうと、まあ久しぶりに行こうかなという気持ちになったり。)

 

飲み会の居酒屋に到着、私が最初に来ていたようで、奥のボックス席に座る。

しばらくするとメンバー3人ほどが到着。私に気づかず店の入り口付近の席に座る。すでに話に花が咲いていて楽しそうだ。同じ店内なのに距離があるなぁと思って眺めていた。そのうちほとんどのメンバーが集まったようだけど、私は皆の元に行かなかった。彼女らも私のことを認知しないようにしている気がした。嫌な夢。

 

学校の教室で、私がメンバーのOさんに謝っている。

「LINEでは行かないと言って、あった時には確かに参加すると言ったのに、結局、参加しなくてごめん。遠くの席にはいたんだ。」

予約の関係もあるだろうに、迷惑をかけてごめん。振り回してごめん。嫌な気分にさせてごめん。

許すという意味ではなくて、(もういいよ)とだけ返すとOさんは腕を組んだまま教室を出て行ってしまった。

 

Mさんが薄暗い教室のカーテンを少し開けながら「いつまで続ける気なの」と言う。何のことかと聞けば「休職。いつまでも休んでるとみんなに給料盗んでると思われるよ」。

 

全身が沸騰する感じ。

恥ずかしさとか、怒りとか、悲しさとか、よく分かんないエネルギーが湧き上がる感じ。

 

「こんなに苦しいのにどうしてあなたにそんなこと言われなきゃならないの!?」

 

「あんなに苦しい思いしたのに!」

 

黙って聞いてるMさんを置いて、もういいよ、と今度は私が言い捨てて、その場所から立ち去った。

急ぎ足で外に出たら、今いた建物は自分の家だったらしい。見知った街から逃げようと思った。走り去った私の奇行をみて、彼女たちは(やってしまった)と相談を打って私を探しに来るらしいから。もう子供じゃないし、知らない街も怖くないだろう。色々悲しかったけど、吹っ切れて走り出した。駅でサラリーマンと主婦にすれ違ったけど、そのあたりで自分の服がランニングウェアになっていた。走りやすい、冬だけど冷たい風が気持ちよかった。

 

途中で高級住宅街?に迷い込んでちょっとドギマギしたけど、大きな家の外壁に羽化したてのナミアゲハとか、蛹を見つけて、少し喜んだ。

 

そのあとは行ったこともないようなショッピングモールに来た。どのお店も洒落た生活雑貨を扱ってて入りたくなるけど、いざ中に入って商品を見るとどれも大量生産の雰囲気ばかりで買う気が失せた。お金を持ってきていないので、そもそも今は買えないのだけど。

 

モールを歩いていくと、ロープウェー乗り場があった。これで隣町まで行こう。彼女たちから離れれば離れるだけ安心するし。

3人乗りの小さなゴンドラ。厚い、揺らぎのある透明なガラスで、小瓶の中に入ったようだった。ゆっくり動き出すと乗り場近くで親子がこちらに手を振っている。手を振り返すとゴンドラのスピードが上がり始め、ぎゅーんと親子が小さくなって行った。

 

ゴンドラを降りるとまたモール。毛色の違った高級志向な感じ。入り口で、スーツの男性がしっかりしたショッパーをくれた。これで買い物を楽しんで、ってことなんでしょうけど。今日は買えないけどね。ありがとう。

 

唯一入ったのは、淡い紫とか青、薄緑のインクが透けて見えるペンとか万年筆が陳列されていた文房具店。試し書きさせてもらったけど、良い色だったな。たっぷりインクが出て滑らかに書けるのに、濃くない。また来たら買おうと思った。

 

隣に入っている高そうな和食のお店の前では、相応のマダムが談笑中。

マダムの横を通って通路に出た気がするけど、私がどっちに行ったのかはわからない。

 

そこで起きた。

 

 

給料泥棒はちょっとキツかったな…笑

でも、私も言い返せるようになったね。

今回は泣いていなかった気がする。

 

むしょうに(1)

 

 

むしょう‐に〔ムシヤウ‐〕【無性に】

[副]

  1. ある感情が激しく起こるさま。むやみに。やたらに。「無性に腹が立つ」「無性に故郷が恋しい」

  1. あとさきを考えずにやみくもに行うさま。むやみに。やたらに。

  2. (引用:goo辞書)

 

 

 

ちょうど日付が変わる頃に眠気が来たので、ベッドに入って何とか眠れたのが3時間くらい。その後は、出展しようと思っているイベントのことを考え出したら、どうにも頭が冴えてしまったし、寝汗もかいてきたので、もう起きてしまうことにした。

 

ネットサーフィンしつつ、耳が寂しくなってきたので1つ前のスマホに残っていた音楽を聞いていたのだけど、いつダウンロードしたのか覚えていない曲が目についたので聴いてみた。

 

 

Freak    -    Avicii ft.Bonn

 

 

聴いて思い出したけど、多分モールで買い物中に気になってシャザムした勢いで入れた曲だと思う。のっけから体がリズムに乗って揺れてしまった。冷たい部屋で、夜に、一人で聴くための曲みたいな、今の自分にぴったりハマった感じ。

洋楽には全く詳しくないけど、素敵だと思った曲がことごとくAviciiのものだったので、少しだけ彼自身とか、彼のその他の曲に興味を持っていた時期があった。

彼の名前で検索を掛けるくらいの興味だったけど、彼の訃報はなぜか自分が思った以上に鋭く胸に刺さった。遠い国の、世界の人を夢中にさせられる才能を持った、私と年の近かった、青年。彼に対してこんな貧弱すぎるイメージしかなかったけど、なぜか彼の自殺という事実が、これまで聞いた名の知れた人の死の中でも、ダイレクトに私の中の何かを抉っているような感覚がある。きっと熱心なファンの方の情動は、私なんかの比ではないのだろうけど、曲を聴くたびに、どうしてもその自死という言葉の虚しさがじわじわ、心地よいリズムに押されてこちらに届いてしまう。(その度に、彼の死すらもストーリーの一部として消費しているようで申し訳ない気持ちになるのだけど)

 

彼がどんな声をしていたのかとか、どんな風に寝起きして、どんな食べ物が好きだとか、スマホをいじる指先も、笑い方も、あくびの仕方も、好きな人と一緒にいるときの表情も、何1つ本当に知らない(当たり前)なんだけど、どうしてこんなに、違う国で生きていたこの人が存在しないことが胸にくるのだろう。自分でも訳が分からないのだけど、どうしても曲を聴くと目元にティッシュが必要になってしまう。

 

 

先日、長い休職を貰っていた会社を退職する旨、上司に連絡をした。

上司は、快活でパワフル、まさに強い女性。私が職場を逃げ出したときに色々相談にのってもらって、沢山守ってくれた人。

 

どんな反応が返ってくるか不安にしていた中で、彼女から返事がきた。

母とレストランで食事中だったので、そっとメールを開いて読んだ。パッと読んで、さらっと母に報告するつもりで目を通しけれど、最後の一文でもう耐えられなかった。

 

「なんだかむしょうにあなたと話しがしたくなりました」

 

絡まっていた心の隙間をすり抜けて、彼女がすっと目の前にきてくれたような気がした。

メールには、実は最近彼女自身も大病をしたこと、これまでの生活のスピードを変える必要が出てきたこと、今の社会のスピード、その目まぐるしさについて書かれていた。

私がメールに書いていたパニック症状への思いやりがあった。ゆっくり歩くこと、景色を見ること、そういうスピードで、生きること。

たった2年かそこらしか仕事をしていない私は、あっけなくその“私には速すぎる”スピードに流されて、おかしくなっていっちゃったけど、あのまま進んでいたらもっと取り返しがつかなくなっていたなと今ならはっきり言える。たった2年での出来事でも、この療養の3年間は楽な時間ではなかったから。

 

仕事内容も、できるだけ自然とか生き物とかに関わるものをやりたいと思っていたし、生まれてからの性分だから自然とそうしちゃうのだけど、以前、仕事帰りの深夜に自転車を引いて帰宅していたら、横断歩道の真ん中、道の分離帯で小さい黒い影が動いているのを見つけたことがあった。

深夜だし誰もいないし、車も来ないので近づいて見てみるとその正体は「オケラ」。

 

♪ぼくらはみんな 生きている
生きているから 歌うんだ
ぼくらはみんな 生きている
生きているから かなしいんだ
手のひらを太陽に すかしてみれば
まっかに流れる ぼくの血潮(ちしお)
ミミズだって オケラだって
アメンボだって
みんな みんな生きているんだ
友だちなんだ

 

やなせ たかしさん作詞、いずみ たく作曲の「手のひらを太陽に」でお馴染みの、あの「オケラ」。小さい頃に図鑑で見て知っていたけど、本物を見たのは初めてで、実は心底興奮していた。紙に印刷されていない、生きて動いているこの虫に、生まれて初めて出会えたんだから。

早速捕まえてよく見てみようと思ったけど、肝心な時に袋がなかったので直ぐさま目の前の自宅まで取りに行き、超速で戻ってきた。街灯の下だったので、幸いまだそこに居てくれた。

(知っているとはいえ)触ったことのない虫を素手で触る度胸は小学生を上がる時に置いてきてしまったので、ビニール袋でそっと捕えて自宅へ持ち帰る。

改めて室内で観察して、ビロードに覆われた茶褐色の体が光を鈍く反射していて、やっぱりモグラみたいな印象が強かった。

 

収斂進化(しゅうれんしんか)」と言って、別のグループであっても似たような生態や生息環境をもつ生物は、同じような体の器官や機能をもつことが知られていて、この「オケラ」と「モグラ」は正にその例なのだそうだ。

土中を潜り進むための、「オケラ」のシャベルのような前足と「モグラ」の手、土や泥の付着を減らすための「オケラ」短い体毛と「モグラ」の毛皮。

それぞれが全く別の系統を辿った末に、現在、それぞれが似た進化の形に行き着いたということらしい。

 

自宅アパートのすぐ近くには田んぼがあり、そこから街灯の光に寄せられて飛んできたのだろう。翌日は直接、自分のてのひらから田んぼの畦に放した。茶色の体はすぐに湿った土に同化して見えなくなってしまったが、あのオケラが残していったてのひらを押し返した前足の感触と、短い体毛が見せた鈍い光は、図鑑には載らない私だけの記憶として不思議なほどはっきりと印象に残っている。

 

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色々教えてくれたオケラ

 

 

 

これは自身のストーリーとして作りすぎているのかもしれないけれど、今思うと、あの時狂い初めていた私を引き止めてくれたのは、やっぱり足元に生きている虫たちだったのかもしれないと、上司からのメールを読み返しながらぼんやり思う。

 

小学生の頃に、ほんの15分ほどの通学路をその倍以上の時間を掛けて、虫を探しながら毎日帰っていた。雨の日は、コンクリの外壁を這う大きなカタツムリを見つけては駆け寄って、そのしっとりした歩みを傘をさしたまま随分長いこと見つめていた。終いには捕まえたカタツムリを傘に幾つもたけて帰ったこともあった。夏にはセミの抜け殻を集めながら登校したり、朝見つけたコガネムシが気になって体育の授業中に一瞬学校を抜け出したこともある。待ってくれていたようにその場に留まっていたその輝く虫を見た時の胸の高鳴りは今でも思い出せる。暴れもせずじっとしている虫をそっとポケットに入れて、急いで学校に戻った。先生やクラスの皆にバレていないか、ポケットの虫は私が走っても無事でいるのか、腿に微かに触れる感触にどきどきしながら校庭まで走っていった。忍ばせたコガネムシのことが気にかかって、その後の授業をちゃんと受けたのかどうか覚えていないのだけれど。笑

 

そんなゆったりした私は、やはり中学生に上がってもすぐには学生のスピードに慣れず、母親によれば1年生の頃は暫く気落ちしていた時期が続いたらしい。自覚は全くなかったのだけど。高校生時代も同じで、忙しく騒がしく大変だけど楽しく、学生生活を送っていた。

 

考えてみれば、大学時代から少しずつ昔の頃の自分を思い出してきた気がする。都心のキャンパスではないので、幸い自然の中を通学するなかで虫たちがよく目についた。就活が始まって、押しつぶされそうになって、一度、課題も提出せずに講義をすっぽかしたことがある。「社会」では、どう考えても自分は無価値な気がして、就職戦争に挑む前に勝手に自滅気味になっていた。講義が行われている講義棟にも、構内でも過ごす気になれず、結局レポートで追い詰められないとなかなか足を運ばなかった図書館に向かった。

 

大して本を読まないくせに、書庫は好きだった。書物の匂いと、冷えた空気と、低い天井と、ずらっと並んだ色もサイズもばらばらな本の背表紙。必要以上に広くない空間は明るくて飾り気のない大教室よりも余程安心できた。今まさに欠席した講義は進んでるんだろうなと想像して、心底居心地が悪いキャンパス内でも、この場所だけは課題とか就活とか講師とか真面目な友達からの視線とかから、上手く自分を隠してくれている気がしていた。(そんな訳はないが)書庫の行き止まりに置かれているパイプ椅子に溶けかかって、それでも休講したことの罪悪感に駆られながら終礼のチャイムを待っていた。

 

チャイムが鳴った。この後の別の講義は出ないとと思いながら、結局この時間に一冊も手に取らなかった書庫を出ようと、数歩進んだ先の棚に手を置いたとき、ちらっと青いものが視界に入った。

 

カミキリムシだった。

 

なんでここでカミキリムシ?と私も思った。この真っ青な虫は図鑑で見たことがある。「ルリボシカミキリ」だ。視線を動かすと本のタイトルは『ルリボシカミキリの青』。そこにいたのは本物の虫ではない。背表紙に印刷され、美く鎮座したルリボシカミキリだった。

 

その本だけが薄暗い書棚の中で光って見えた、というのは別に詩的な表現でも何でもない。視界には数多の本があった筈なのに、本当にこの本しか目に入らなかったのだ。著者は、福岡伸一さん。分子生物学者。素敵な装丁を味わうより先に、この本に感じる期待のような“何か”を早く捕まえたくて、「プロローグ」を開くと夢中で文字を追い始めた。

 

 (続く) 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

動画切り取り方@iMovie

前回と同じく動画の切り方。

今度はiMovieでの作業。

 

〈動画を切る〉

左下のボックス上部にあるタブから「マイメディア」選択

>「メディアを追加」で編集するデータを呼び出す

(メニューバーの「ファイル」から「メディアを読み込む」でもOK。⌘ +Iでも可。)

>選択した動画が読込み終わったら、ドラッグ&ドロップで下の編集ボックスに移動

>任意の場所でカットするには、編集カーソル(白い線)を置いた場所で⌘B。

右クリックから「クリップを分割」でも可。

※ キーボードの↑↓で、動画クリップの先頭・末尾に移動できる

 

〈末尾の音量を下げる〉

クリップの末尾の音声波形部分にカーソルを移動すると◎ボタンが現れる

>◎の上でカーソルが「◁  ▷」の表示になったらクリックして左側にドラッグ

 

動画を暗転させる

画面左上のボックスで「トランジション」選択

>「黒にフェード」をドラッグ&ドロップで任意のクリップ先頭or末尾に持ってくる

>【▷◁】このマークをダブルクリックで、暗転している秒数を変更できる(デフォルトは1秒間)

※音声がなくなる所でクリップを切ってから、黒フェードを持ってきて暗転秒数を変更する順番が良い。フェードの様子を再生して確認するには、後ろに続くクリップを一旦削除しておく。

 

〈mp4で書き出し〉

書き出すクリップ&エフェクトのマークを選択し、黄色枠が表示されてから、画面右上の「⬜︎と↑が重なったマーク」を選択。

>「ファイル」を選択し、以下の設定にする

>動画タイトルは「マイムービー」を削除して書き直し

>「説明」と「タグ」は不要であれば削除しておく

>フォーマット:ビデオとオーディオ

>解像度:1080p

>品質:カスタム(26,667Mbps)※バーの右端まで移動

>圧縮:高速

>「次へ」を選択し、タイトルと保存先に変更がなければOK

 

 

 ※ちなみに編集データ自体は、iMovieウィンドウを閉じるだけで勝手に保存されるとのこと。わーい

 

動画切り取り方@Premiere Pro

イベントで動画撮影>参加者にギガファイル便で個別提供

ということがあったので、動画の切り方と保存方法の自分用備忘録。

専門用語は正しくありません。

 

〈動画を切る〉

左下のボックス上部にあるタブから「メディアブラウザー

>ローカルドライブから編集するデータを呼び出す

>選択した動画をドラッグ&ドロップで右の編集ボックスに移動

>任意の場所でカットするには、編集ボックス内で「レーザーツール(Cボタン)」を使う

※ キーボードの↑↓で、動画の先頭・末尾に移動できる

 

〈任意の場所で音量(ボリュームレベル)を下げる〉

右下の編集ボックスで、タイムライン上の動画をクリックし選択状態にしておく

>左上のボックス上部の「エフェクトコントロール

>「fx ボリューム」から「レベル」を開く

>左上のボックス内で青色のカーソルを音量を下げ始める場所に移動

>「レベル」の横にある「◁◯▷」の◯部分をクリック

>先ほどの青カーソル部分に編集ポイント作られる

>今度は音量が下げ終わる所に青カーソルを移動

>同様に「レベル」の横にある「◁◯▷」の◯部分をクリックし編集ポイントを作る

>この編集ポイントで音量をゼロにする為、「レベル」下にあるバー(左端にー♾、右端に6.0と書かれている)の◯ボタンをドラッグして左に移動させる。

>音量(dB)の値が変化する

>音量が徐々に下がるようにするには、最初に作った編集ポイントの音量は変えず、最後の編集ポイントの音量のみゼロにすれ良い

※ 各編集ポイントの位置は左右にドラッグして自由に変えられる。

※クリップがかなり小さく表示されるので、適宜下の拡大バーで引き延ばして微調整が必要。

 

 

〈動画を暗転させる〉

もっとちゃんとした方法があるみたいだけど、とりあえず使えたやつだけメモ

 

・左下のボックスの上部で「エフェクト」を選択

>「ビデオトランジション」>「ディゾルブ」>「暗転」を選択

>右下のボックス内のクリップの末尾に「暗転」をドラッグ&ドロップ

>拡大すると「暗転」の端を延長できるので任意の長さに調整

※動画の末尾にしか使えない?様です。

 

 

〈mp4で書き出し〉

左上のメニューバーから「ファイル」

>「書き出し」>「メディア」を選択(コマンド+MでもOK)

>「書き出し設定」ウィンドウがポップアップ

>右上の「書き出し設定」で、形式を「H.264

>プリセットは「ソースの一致 - 高速ビットレート

>出力名を任意のタイトルに編集

>右下の「書き出し」でエンコードが始まる

>「キュー」を選択するとAdobe Media Encoder CCが立ち上がるので、右上の緑色の▶︎ボタンを押してエンコを開始する。「キュー」でエンコを行なっている間は、プレミアプロで編集作業を続けることができる。複数のデータを編集しつつ、次々書き出していく場合は「キュー」を選択してエンコする。

 

 

 

 

『死にたい』ではない

深夜。全く眠くないので漫画を読んだりゲームをしていたけど、やっぱり眠気はやってこない。体は疲れているのに。


十代の頃から続いているクセの様なものだけど、よく自分が死んだ後のことを想像して、数分ぼんやりすることがある。

死んだ後といっても、具体的な葬式とか誰も居なくなった自室とか、そういう生々しいイメージではなくて、自分の意識とか、これまでやってきたこととか(大したことしてないけど)、これからやろうとしていたこととか、自分っていう1つの存在が消えることは、結局何が消えて何が残ることなんだろう…とかっていう想像を巡らせてる。ほんと、ただ想像してるだけ。


もし今死んだら。悔いはあるのかな。あるんだろうけどパッとは思いつかない。強烈にやりたいこと、やり残してしまったと思うような事があまり浮かばない、という感じ。


ちょっと家族の顔が浮かぶ。少し辛くなるのでこれ以上は想像しないでおく。


これから生きていくのに、体と気力と資金(職)と食と住が必要。両親に寄生している身で、これから今の職を捨てる予定。新たな職を作るor仕事を取ってこないといけない。体は〈若い〉の範囲からは脱する年齢。結婚適齢期。出産適齢期でもあるね。気力、精神は一時期より大分救われた。日常生活を送れるのはそのおかげ。でも、今みたいな夜、一人のとき、ふとした隙間に、ほの暗いモヤモヤが膨らんでくる感じがある。まだ、モヤモヤの根っこはしっかり張ってるんだろうな。風呂場のタイルのゴムパッキンに根付いて、漂白剤掛けても取れない黒カビみたいな。相当頑固なやつ。食も住も、今は寄生者として親様のスネカジリだけど、これからは、どうか。情けないくらいノープラン。考えられない。


豊かな環境で、家族円満で、戦争もなく、食に困らず、本当に恵まれた世界に生きている自覚はある。申し訳ないくらいに。だから、死にたいんじゃなくて、これ以上、生きたくないのかもしれない。まだ自分でもよく分からないけど。消えたい、というのに近いのかもしれない。死ぬ勇気も決意もない甘ったれだけど、気力とかエネルギーが突然ゼロになる感覚が、たまにやってくる。今とか。全部どうでもよくなって、ぼわんと忍者みたいに消えたくなる。あっけなくて怖いくらい、一瞬で。


でもこんなことを書きながら、情けなくてじわっと涙が出そうになってる。心臓を絞って、やっとポタっと落ちてきたのがこんな言葉なんだなと思うと、また加速度的に虚しさに襲われる。〈悲劇を自分で作るな〉っていう誰かの声が頭の奥から届くんだけど、そうだよね。悲劇のヒロインになりたがっているのかね、私は。自分でもわからんけども。


きっと朝になったらこのモヤモヤは日の出と一緒にすぐ霧散するんだけろうけど、少しはその尻尾を掴んで、こうしてちぎってやったんだと示したくて

、今、ここに書いてる。モヤモヤは実在してるぞ、まだ消えてないからな、って思っておかないといけない気がしてて。でも、それってつまり、こいつと付き合いながらでも、やっぱりまだ生きてたいからこんなメモ残してるってことなのか。分からないけど。

少し疲れてきたので横になる。