虫と共に去りぬ

虫や金魚を中心に、生きものたちと歩む日々

『死にたい』ではない

深夜。全く眠くないので漫画を読んだりゲームをしていたけど、やっぱり眠気はやってこない。体は疲れているのに。


十代の頃から続いているクセの様なものだけど、よく自分が死んだ後のことを想像して、数分ぼんやりすることがある。

死んだ後といっても、具体的な葬式とか誰も居なくなった自室とか、そういう生々しいイメージではなくて、自分の意識とか、これまでやってきたこととか(大したことしてないけど)、これからやろうとしていたこととか、自分っていう1つの存在が消えることは、結局何が消えて何が残ることなんだろう…とかっていう想像を巡らせてる。ほんと、ただ想像してるだけ。


もし今死んだら。悔いはあるのかな。あるんだろうけどパッとは思いつかない。強烈にやりたいこと、やり残してしまったと思うような事があまり浮かばない、という感じ。


ちょっと家族の顔が浮かぶ。少し辛くなるのでこれ以上は想像しないでおく。


これから生きていくのに、体と気力と資金(職)と食と住が必要。両親に寄生している身で、これから今の職を捨てる予定。新たな職を作るor仕事を取ってこないといけない。体は〈若い〉の範囲からは脱する年齢。結婚適齢期。出産適齢期でもあるね。気力、精神は一時期より大分救われた。日常生活を送れるのはそのおかげ。でも、今みたいな夜、一人のとき、ふとした隙間に、ほの暗いモヤモヤが膨らんでくる感じがある。まだ、モヤモヤの根っこはしっかり張ってるんだろうな。風呂場のタイルのゴムパッキンに根付いて、漂白剤掛けても取れない黒カビみたいな。相当頑固なやつ。食も住も、今は寄生者として親様のスネカジリだけど、これからは、どうか。情けないくらいノープラン。考えられない。


豊かな環境で、家族円満で、戦争もなく、食に困らず、本当に恵まれた世界に生きている自覚はある。申し訳ないくらいに。だから、死にたいんじゃなくて、これ以上、生きたくないのかもしれない。まだ自分でもよく分からないけど。消えたい、というのに近いのかもしれない。死ぬ勇気も決意もない甘ったれだけど、気力とかエネルギーが突然ゼロになる感覚が、たまにやってくる。今とか。全部どうでもよくなって、ぼわんと忍者みたいに消えたくなる。あっけなくて怖いくらい、一瞬で。


でもこんなことを書きながら、情けなくてじわっと涙が出そうになってる。心臓を絞って、やっとポタっと落ちてきたのがこんな言葉なんだなと思うと、また加速度的に虚しさに襲われる。〈悲劇を自分で作るな〉っていう誰かの声が頭の奥から届くんだけど、そうだよね。悲劇のヒロインになりたがっているのかね、私は。自分でもわからんけども。


きっと朝になったらこのモヤモヤは日の出と一緒にすぐ霧散するんだけろうけど、少しはその尻尾を掴んで、こうしてちぎってやったんだと示したくて

、今、ここに書いてる。モヤモヤは実在してるぞ、まだ消えてないからな、って思っておかないといけない気がしてて。でも、それってつまり、こいつと付き合いながらでも、やっぱりまだ生きてたいからこんなメモ残してるってことなのか。分からないけど。

少し疲れてきたので横になる。