虫と共に去りぬ

虫や金魚を中心に、生きものたちと歩む日々

眠るドラゴン

親友のお祝いのためのフォトアルバムを手作りしながら思ったこと。

 

この半年ほど酷い落ち込みは来ていなくて、むしろやりたいことが増えてきてじっとしてられないエネルギーが背中のあたりをせっついているような感じがする。元気になってきたということだと思う。

 

でもふとした時に気づくのは、この元気さとか普通に過ごしているつもりの私のすぐ横には、やっぱりそこの見えないような深い沼みたいな暗さとか、死みたいなものがいつもスタンバイしてるような感覚があるということ。でも、そういう仄暗いものから、自分か今距離を保てていて、それを客観視できているという自覚はある。というか、その自覚があるから、私が今なんとか平気な顔で普通っぽく過ごせているのだろうなと感覚的に分かる。つまり何が言いたいかというと、この「普通」の感覚はすごく危ういものだということ。

 

何か自分が壊れそうな出来事があったとき、すぐに隣の沼に飛び込める、いざとなれば死に逃げられる、っていう不健康な安心感が足元で私を支えている感じ。安定しているようで蹴っ飛ばしたらポーンとすっ飛んでガラガラ崩れそうな脆さが常に側にある。崩れても這い上がろうとする力は、多分無い。何かあってもきっと諦めがつくから、今を立って歩けてるだけなんだろうなと思う。

 

鬱になる前には感じたことの無いこの状況・感覚から、さらにもう一回脱皮するにはどうしたらいいのかはまだ分からないから、このまま歩いていくしかなさそうだけども…。そんな感じのことを考えました。