虫と共に去りぬ

虫や金魚を中心に、生きものたちと歩む日々

一人旅

一人旅で”寂しさ”を感じたことはないと母は言うけど

果たして本当にそんな旅が実現できるのだろうか?

 

寂しさを感じるのは悪いことではないと思う反面、

私なんかはどうしても、家族で来たら私一人よりももっと楽しいだろうに、とか

この美味しいご飯をみんなにも食べてほしいのに、とか

申し訳なさのような罪悪感みたいな気持ちが沁みてきて、

多分その場で「おいしい」とか「楽しい」って感じる暇もなく

今をすぐに”寂しい”状態に落としてしまうのが常で。

それ自体は、私の悪い癖なんだと思う。

 

孤独は非常なものでなくて、本来は孤独・独りが基本なんじゃないかと最近思う。

だからというわけではないけど、”独り”でいることや”寂しい”という気持ちについて、もっと慣れてみたくて、近々一人旅をしてみたいと思った。

私はどうも昔から”寂しさ”を自分の中に生み出しやすいタチで、その割にその感情にじっくり向き合ったことはなかった。

一人暮らしをして、精神を凹ませて、実家に戻って…

そして、気づけば家族の輪の中にいても、胸の中ではスポットライトを浴びた自分がポツンといつも独りで立っているような、そんな孤独感が共存するようになった。ふと気がつくとすぐそばに冷めた自分がいるような、変な感覚だった。

それで、もうそろそろこいつをじっくり見つめる作業をしたいと考えついて、ポンとどこかへ出てみようと思った。”孤独”は影みたいに、生きている限りは切り離せないし、”寂しさ”もそれと似た何かであるような気はしている。だから今度の旅の中で、それらがどんな時に私の中に現れ、それぞれがどれくらい大きな感情になるのかを観察してみたい。

もしかしたら、寂しさを感じる行為には過去に対応する思い出があるのかもしれないし、私のアイデンティティやトラウマに強く影響されて発現してくるのかもしれない。全部、行ってみないとわからない。

 

宇多田ヒカルが「寂しさや辛さは、乗り越えなければならない山ではなく、それも一つの心象風景である」と言ったらしいけど、それが私にも当てはまるのか、当てはまったとしたら私は楽になるのか、ならないのか、そういうことも確認できたらいい。

 

 

でもその前に、やっぱり何をしていても泣き出しそうで気分が晴れないメンタルをどうにかした方がよさそうかもしれない。

これが私の性格ではなく、なんらかの病気のせいだと言われた方がよほどありがたいんだけど。