虫と共に去りぬ

虫や金魚を中心に、生きものたちと歩む日々

どうやって大人になればいい

”消えたさ”が募るとき

どんな対処ができるのかなとぼんやり考えても答えは出なかった

 

ただ少なくとも”もう無理だな”と思ったら

自分が衝動的に”消える”手段に打って出てしまう前に

なんとか自らの暴走を止める時間を稼ぐのが重要な気はしてる

 

具体的には…

 

京都行きの新幹線に飛び乗るとか

 

でも京都は観光客に当たりすぎて嫌なので…

 

奈良に行くとか

 

奈良だと静かすぎたら…

 

富山にいくとか

 

あまり家族と訪れたことのない場所がいいかもしれない

記憶がかぶると楽しかったことが眩しくなって辛さも増すから

 

 

もう何日も一人でいると涙が出てくる

いい加減にしたいんだけど、どうしようもない

いや、本当にどうしようもないことなのかはわからない、というか

どこかで自分に不足があるからなんだろうなとは思うけど

それでも一杯一杯な感じがどうしたら解消されるかわからない

 

どうやったら大人になれるのかもわからない

いつまでも自分が変われていないのに

そのくせ体ばっかり歳をとっていって

子供がうめなくなるだの

卵子がなくなるだの

世間の文字ばっかり目について

 

どこからも責められている気分

統合失調症の方が「世界と自分がつながりすぎている」って言葉を書いてたけど

もう前の職場にいた時からその域に片足突っ込んでいるのかもしれない

頭でっかちな猿だから生きるのが面倒で仕方ない

 

 

 

変わっていくことにどうやったら慣れていける?

執着が強すぎるとそこから離れる時に肉まで引きちぎれそうになる

それならあんまり強く貼り付けて執着しなければよかったと思うけど

本来それらを上書きするような経験も体験も思い出も

私も人を避けすぎて作り出してこなかったんだなあと再認識

あとは自分のペースでその経験を積み上げていきたい

この年齢になっても飛び込んでいくことはできるはず

幸にしてその気持ちはまだ失っていないみたいだし

 

家族の一員の自分と、仕事の自分と、たった一人のときの自分と

自分だけと繋がっている人間関係の中の自分と

なんだかはっきり分かれてしまっているようで

どこかの領域が重なったりすると混乱してくる

今自分がどんな顔で入ればいいのか分からなくて。

多分、そんな風に顔を無意識に作ってきたことが苦しさの一端なのかもね

期待に応えられないのに応えられそうなそぶりをしちゃって。

そぶりだけでも応えようとしてた、と書くと聞こえがいいけど。